動機
前回(1/18-22)のタイ旅行から帰り、反芻しながら旅行記を作成している時から既に今回の旅行を考えていました。
前回の旅行は現地滞在三日間と短く、駆け足だったものの、生活のごく一部に溶け込んでいる世界遺産、市場や屋台でのパワーや熱気そして喧騒、美味しいタイ料理やビール、安い物価等、すっかりタイの魅力に魅了されてしまいました。
実現の可否は別にして「計画」を練ります。そのためにはまず日程を決めなければなりません。
日程
タイの気候は乾季、暑季、雨季に分けられ、乾季の11月から2月が観光シーズンです。日本の三大休暇(G/W、夏季休暇、年末年始)をあてはめると年末年始がベストですが、航空運賃は閑散期の数倍にも跳ね上がるので最初から却下です。三大休暇ほどではないけど、祝日絡みの三連休も航空運賃は高めに設定されるので却下。となると、普通の土日に有給休暇を二日絡め、前回と同様に深夜便を使って二泊五日という日程を組むしかありません。例年通り三月初旬に当社の今年度のカレンダーが発表され、それを見ると10月24〜26日に三連休がありました。これに有給休暇を二日絡めれば三泊六日の日程が組めます。雨季の終盤ですが、運がよければ乾季に入ります。天候は運まかせということで、日程はここに決定です。
スケジューリング
連日の原油価格高騰を伝えるニュースに、ガソリン価格など生活直結の商品の値上げだけでなく、燃油サーチャージの高騰にもびびりながら、相変わらずせこく深夜便で出発するプランを練ります。前回のアユタヤ観光で遺跡は食傷気味。嫌いじゃないけどバンコクは都会すぎでアユタヤのような地方都市の方が居心地が良さそう。などなど・・・この頃が一番楽しい時かもしれません。毎日のように「地球の歩き方」を元にインターネットで情報収集し、行きたい順に次の5プランを練り上げました。
1)日本ではできない陸路国境越えと寝台列車の旅
2)長距離バスと列車を使った地方都市滞在の旅
3)戦跡探訪の旅
4)地方都市とバンコクを組み合わせた折衷案の旅
5)バンコク滞在で市場巡りとバンコク郊外の旅
これであとは実行に移すのみです。
妻への告知
この旅で最難関と思われる家内の許可を得るため、頃合いを見計らって旅行のことと、5つのプランを提示するとカレンダーをめくりながら子供の行事予定等をチェックして、
妻:「ちょうどそこは空いてるから大丈夫。私は5)がいい。」
私:(えっ、あなたも行くの?と思いながらも)「あっ、そう。じゃあ行こうか。」
と話はまとまりました。でも私の中では優先順位が一番下のプランじゃない。(泣)
その後、事ある毎に1)〜4)のプランをアピールしますが、「交通費が余分にかかる!それよりウィークエンドマーケットに絶対行きたい!」と聞く耳持たず状態です。でもダラダラとバンコクの街中で過ごすのは私の性分に合いません。せめてもの抵抗で前半は弾丸で行かせてもらう事で合意に至りました。本意ではありませんが、プランが決定したのでエアとホテルの手配です。
タイで不穏な動きが・・・
・8/26 反政府団体「市民民主連合」が国営テレビ局を占拠。
・8/29 反政府デモでプーケットなど3空港が閉鎖。
・9/06 バンコクに非常事態宣言、衝突で1人死亡。
ひゃー、大変なことになりました。暴動に発展して2006年のクーデターのようなことになったら旅行どころじゃありません。行き先を含めてプラン自体練り直す必要が出ると思っていました。そうこうしているうちに事態は好転したようです。
・9/14 バンコクの非常事態宣言解除
やれやれ、予断を許しませんが落ち着いたようです。
まずはエアの手配です。
ちょうどフライトスケジュールの改定時期だったようで、紆余曲折ありましたが最終的に往復とも前回と同じタイ国際航空の往路はTG673便、復路はTG622便で、タイ国際航空の正規割引券(PEX)を購入しました。
あとはホテルの予約です。いくつかの候補がありましたが、最終的にBTSの駅とバス停が近く、値段が安いサムランプレイスホテルに決めました。格安ホテルなので設備やサービスの期待はできませんが、毎日寝に帰るようなものなので前回のホープランドのような高級ホテルは必要ありません。ゲストハウスでもいいかなと考えていましたが、サイアムスクエア近くのソイ・カムセンにあるゲストハウスと比べても値段の差はほとんどなく、ホテルの方がマシだろうということで決めました。
情報がほとんどないという不安はありましたが、出発の三週間前を切った10/4に最安値を謳い文句にしている前回と同じエージェントに予約を入れました。ついでにこれまた前回と同じ損保ジャパンで海外旅行保険に加入し、これで事前準備は整いました。ところがその翌日・・・。
・10/05 首相府占拠の市民連合幹部で元バンコク都知事のチャムロン氏を逮捕
・10/07 警察隊がデモ隊の排除行動を行い1人死亡で数百人が怪我
きゃー、なんてこった!
早く国王が出てきて、「これこれ、喧嘩はいかん、仲良くするように」と仲裁に入って事態を収拾してくれることを願いつつ、元々王宮、首相府には近寄る予定はなかったものの、バンコク以外へ退避する代替案も考え始めました。
従弟からの連絡
出発一週間前の10/16のこと。前回のレポにも少し触れていますが、私の従弟がタイに住んでいて、前回のレポを見た叔父から「次回タイに行くときにはぜひ連絡をしてくれ」とのメールをもらっていました。そこで「来週からタイに行ってきます」とメールを送ったところ、即レスで「時間があったら息子の家まで行ってあげて」と従弟の電話番号が送られてきました。その翌日には従弟から国際電話があり、「ぜひ家に来てほしい」とのこと。スケジュールは調整できるけど、厚かましくお邪魔していいものか躊躇していました。叔父にメールすると、「ぜひ行ってあげて」とのこと。せっかくなので顔見せのつもりで26日の午後からお邪魔することにしました。従弟と何度かメールのやり取りをして、出発三日前の20日に電話があり、何とその日に長男の誕生日パーティーを行うことにしたとのこと。親戚やご近所の方を呼んで20人以上集まるみたいです。
25日は大半が給料日で、その直後の土日のバンコク市内は渋滞するそうです。日中はバスやタクシーなど車で移動はしない方が良いとの助言をもらいました。
「遠足の前日は眠れない」そんなか細い神経を持ち合わせていないふたりは、体調万全で当日を迎えるのでした。
地図
では、引き続き珍道中をお楽しみください。
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