●朝食-3-
セットした目覚まし時計で6時に起床して全員を起こす。今日はアユタヤ観光で、チャーターした車が8時に迎えに来るのだ。
7時頃朝食会場に向かうと結構混んでいたので、入って右奥の暗い一角が空いていたのでそこに座る。
ユメは昨夜から体調が思わしくないが、留守番するほどではない。でも、安全を期して朝食は少し控えめにしていた。
エッグスタンドでは二日続けてオムレツを2つ作ってもらっていたので、この日はオムレツとサニーサイドアップを1つずつ作ってもらうが、オムレツより簡単に思えるサニーサイドアップの片目が潰れている。マイペンライ。
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●アユタヤへ
いったん部屋に戻り、身なりを整え日焼け対策を施して日本人らしく5分前に下に降りると、「Sir, Car is waiting for you.」とドアボーイに車が来ていることとを告げられる。
さすが日系企業で予約しただけのことはある。また、ドアボーイはさっとドアを開け、別のボーイは待たせていた車を誘導している。このキビキビした動きに本当にタイかと疑念を抱く?(笑)
担当ドライバーのパーニャと軽く挨拶を交わし、リクエストした訪問地の確認と、最終到着地はアユタヤを出るまでに指示することを告げ、雨の中8時前にホテルを出発する。
サトーン通りをUターンしてラーマ4通りにでて高速道路に乗り、一路アユタヤを目指す。
パーニャはこちらから言うまでもなく安全運転で、私以外の3人は安心して寝ていた。(笑)
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↓↓↓マウスオーバーで山田長政像↓↓↓
最初にやって来たのは日本人町跡。入館料はひとり50B(約\150)で、到着して入館料を払うと「さあさあ、どうぞどうぞ」とばかりにビデオ鑑賞や展示室の案内、ドアの開閉など過剰なサービスを受ける。(笑)
日本人町は16世紀初め、御朱印船貿易に携わった日本人たちが築き、最盛期には3千人以上もの日本人が住んでいたという。その多くはアユタヤの傭兵としてビルマ軍との戦いにも参戦し、日本人町の町長・山田長政は22代ソンタム王から官位を与えられたほど。だが、日本の鎖国で18世紀初めにはこの街も消滅する。
敷地内には写真の惜しい日本語の石碑や日タイ修交120周年記念館があり、マウスオーバーの山田長政像や朱印船の模型、皇太子殿下来館の写真等が展示されている。
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↓↓↓マウスオーバーで金箔貼り↓↓↓
次にやって来たのはワット・ヤイ・チャイ・モンコン。入場料はひとり20B(約\60)。
1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院。日本人町跡に向かう途中からも見えた高さ72mの仏塔は、1592年に19代ナレスアン王がビルマ軍との戦いに勝利した記念に、ビルマのチェディ・プカオ・トンのパコダに対抗して建立したとか。ただ、高さが僅かに及んでいなかったという。(笑)また、大きな寝釈迦もこの寺のシンボルとなっている。
仏塔は途中まで登ることができ、写真中央の中に入ると仏像があってマウスオーバーのように金箔(20B≒\60)を貼ることができる。
余談だが、仏塔の裏で猫の母子がじゃれあっていたのが印象的だった。
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↓↓↓マウスオーバーで象の上から↓↓↓
次に訪れたのはパーン・チャーン・アヨタヤー(Pang Chang Ayothaya )というエレファントキャンプ。
5年前に行った島内にあるエレファントキャンプを指定したつもりだったのだが、連れてこられたのは次に紹介するアヨータヤー水上マーケットに隣接する、新しくできたエレファントキャンプで、時間効率としてはこちらで良かったかもしれない。
メインのエレファントライドは30分1,000B(約\3,000)とありえない金額で、そもそも30分はユウナの後遺症とユメの体調不良を勘案すると長すぎるのため、交渉した結果10分300B(約\900)で成立する。
ふたりが象に乗っている間園内を少し回ったが、タイ人観光客中心のチープな観光地のようだ。言い換えればエレファントライド以外、楽しむべく物はないということだが・・・。(笑)
マウスオーバーは象の上からユウナが撮った写真で、象使いは象牙のアクセサリーを売り込んできたそうだが、チップ用の小銭しか持たしていなかったので、最後にそのチップを渡して降りる。ここは二度と来ることは無いな。
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↓↓↓マウスオーバーで餌やり(グロ注意)↓↓↓
エレファントライドを終えた二人をピックアップして、隣りのアヨータヤー水上マーケットに行く。
ここは池の周りにお土産もの屋がぐるりとあって、入口にレストランとボートツアー、一番奥がフードコートになっている。
ここもローカル向けのようで、平日とあって観光客が少ないせいか閉まっている店も多い。
ところどころにエサの無人販売があり、10B(約\30)の餌をまくとマウスオーバーのように気持ち悪いくらいナマズ系の魚が餌を奪い合う。
ぐるりと一周してエレファントキャンプの方に戻りかけるとパーニャが私を見つけ、そこで待っているような事を言って車を回してくる。ここもリピートは無いな。
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↓↓↓マウスオーバーで首のない像↓↓↓
パーサック川を渡って島内に入り、やって来たのはワット・マハタート。写真の切り落とされた仏像の首が、菩提樹に取り込まれているのが有名な寺である。ここで入場前にフルーツ屋台でパイナップルとスイカを買う。たしかに量は多いが、観光地価格の30B(約\90)は仕方ないか。
ワット・マハタートは1369年〜70年の2代ラーメスアン王が建てたという説と、1370〜88年の3代ボロムラーチャー1世が建てたという説がある13世紀の重要な寺院の一つ。かつては塔の頂上が黄金に輝いていたこの寺院もビルマ軍の侵略により廃墟と化し、今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっている。
マウスオーバーのようにビルマ軍によって仏像の首が切り落とされているのは、隠されていた宝飾品を略奪されたためといわれている。
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↓↓↓マウスオーバーでヴィハーン・プラ・モンコン・ボピット↓↓↓
続いて訪れたのはアユタヤ王宮内にあった最も重要な寺院のワット・プラ・シーサンペット。ここで昼食代として100B(約\300)をパーニャに渡し、ここでランチを取るからしばらく時間がかかることを告げて別れる。入場料は50B(約\150)。
ワット・プラ・シーサンペットはバンコク王朝におけるエメラルド寺院のような存在。トライローカナート王時代の1448年に建立され、以降はここで宮中儀式が執り行われてきたそうだ。寺院のシンボルは東西に並ぶ3基の仏塔で、それぞれにトライローカナート王(1448〜1488年)とその王子らの遺骨が納められていたと言われている。仏塔の東側に本堂が後に建立され、高さ16メートル重さ171キロの、純金に覆われた立仏像が置かれていて、この仏像が寺院名にもなった「プラ・シーサンペット」というそうだ。1767年のビルマ軍による第2次アユタヤ侵攻で寺院そして仏像は悉く破壊されたが、戦後になって修復されて現在の姿となったそうだ。
マウスオーバーのヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットは、1603年にラーマティボディ2世により作られた、タイ最大の高さ17mのブロンズ製の巨大な仏像を安置する塔堂。ビルマ軍に破壊されたあと、1951年の修理の際には仏像の体内から何百体もの小さな仏像が発見され、アユタヤの中心地では最も参拝者が多いそうだ。入場無料。
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↓↓↓マウスオーバーでトム・ヤム・クン↓↓↓
ヴィハーン・プラ・モンコン・ボピットの西側は市場になっていて、まずは駐車場側の屋台を回って仏像やハンモックを買い、ジュースとビールを飲んで喉を潤していると数台のバスが到着し、大量の子どもたちを吐き出す。5年前もそうだったので遠足の定番スポットなのだろう。
タイ初心者だった5年前は気後れをして近寄ることすらできなかったオープンエアの食堂に入り、あれこれ注文する。
やってきた順にまずはセンミー・ナーム・ガイ。米の細麺の鶏肉のせで、かなりボリュームがある。屋台で食べる量の2倍はあるが、味の方はなかなかのもの。
マウスオーバーはユウナお気に入りのトム・ヤム・クン。観光客だからか辛さ控えめであったが、具が多く味もまずまず。
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↓↓↓マウスオーバーでガパオ↓↓↓
こちらはあしてんまま念願のグリーンカレー。こちらも辛さ控えめだが、なかなか美味しかったようだ。
マウスオーバーはガパオ。正式にはパッ・ガパオ・ガイ。この料理に限らずすべての料理に言えることだが、どれも具だくさんで量が多い。辛さを控えめにしてくれたのかもしれないが、味の方はいたって普通に美味しい。
お勘定はこれにビアチャンの大瓶、水を入れてちょうど400B(約\1,200)。ローカル食堂はやはり安い。
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食堂を出て市場の探索を続ける。
次にチャレンジしたのはアユタヤ名物ローティーサイマイ。 ローティーは生地、サイマイは絹糸という意味。
袋に入った糸状の砂糖菓子と10枚くらい入ったクレープ生地がセットで売られているのだが、20B(約\60)を差し出し、写真のようにひとり一枚ずつ焼きたてのクレープを巻いてもらう。
日本の綿飴に似ているサクサクした糸状の砂糖菓子を、クレープのような薄い生地で巻いて食べるのだが、これがなかなか美味しい。
お土産として買って帰るのは難しいが、日本人受けしそうなお菓子である。アユタヤに行った際は是非ご賞味あれ。
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↓↓↓マウスオーバーでここでも金箔貼り↓↓↓
パーニャと合流して島内最後の訪問先はワット・ローカヤスター。ここも入場無料。
クン・ペーン・ハウスの北側のうっそうと生い茂る広大な草原に悠々と寝そべる高さ5m、全長28mの巨大寝釈迦仏。ただこの像は1956年に復元されたもので、80歳で入滅した仏陀をあらわしているとのこと。まわりには寺院も本堂もなく、長い手足をゆったりと伸ばしながら横たわっている。アユタヤ王朝からの栄枯盛衰を見つめ続けているのだろうか。
正面の売店でお参りセットお買い、参拝者に倣ってお参りする。マウスオーバーのようにここでも金箔を貼る。
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↓↓↓マウスオーバーで模型↓↓↓
島を出て向かったのはワット・チャイ・ワタナラーム。入場料は50B(約\150)で、お疲れ気味のユメは入り口前のベンチで休んでいるとのことで、3人で中に入る。
ワット・チャイ・ワタナラームは1630年、第24代王・プラサートトーンが亡くなった母を偲んでチャオプラヤー川の西側に建設した寺院。建築様式はカンボジアのアンコール・ワットに似ていることから、カンボジアとの戦争に勝利を収めたことを記念して建てたとの説もある。寺院の四角い境内の中央には35メートルの主塔が聳え立ち、四方に4基の塔堂(プラーン)を従えて、その回りには回廊が取り巻く、というアンコール・ワット様式のうえ、八方には須弥山(しゅみせん)を表現する塔も設けられている。また、建立の1630年からアユタヤ王朝の滅亡まで、王の法事を執り行う王室寺院でもあった。ここも他の寺院と同様1767年のビルマ軍によって焼かれ、廃寺と化したが、1987年になって改修され、現在ではアユタヤでもっとも美しい寺院遺跡のひとつとなっている。
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最後に向かうワット・プー・カオ・トーンの手前にある象。パーニャに「寄るか?」と聞かれて思わず「Yes」と答えてしまって寄ることになった。(笑)
一応上まで上がってみたが、信心がないのですぐ下りる。
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↓↓↓マウスオーバーでお茶目なニワトリ↓↓↓
最後に訪れたワット・プー・カオ・トーン。入場無料。
1569年、ビルマのバイナウン王がアユタヤを占領した時に建てた高さ80mを誇る寺院。当初はビルマ様式だったが、その後アユタヤ王朝を再興したナレスアン王がタイ様式に改め、現在の塔は1754年に造られた。1956年には仏歴25世紀を祝って頂上に2.5kgの黄金の珠が付けられ、別名「黄金の仏塔寺院」と呼ばれている。仏塔は階段で上に上れるようになっており、頂上からは遠くアユタヤの街が一望できる。
いまいちマイナーなのか観光客はほとんどいない。みやげ物屋も閑散としていて、マウスオーバーのように売り物の中でニワトリが寛いでいたりする。(笑)
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最終目的地をホテルにしてもらい、15:25にアユタヤを後にする。
帰路はAH1ではなく、西側の高速を利用して16:30過ぎにホテルに戻る。
1Boxカーのチャーター料金は、基本料が3,100B、オーバーチャージが68Km×6Bで408B、高速料金が240Bでトータル3,078B(約\9,250)、最後に渡した200Bのチップに昼食代を合わせると300B(約\900)なので、総額は一万円ほど。
元々ユウナの体調を心配して車をチャーターしたのだが、想定外にユメの体調に合わせて回ることができたので、チャーターは結果オーライであった。
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●スアンプルー市場
部屋に戻って夕食の相談をする。イマイチ調子の上がらないユメはあまり欲しくないが、フルーツ屋台のパイナップルかスイカなら食べれそうと言うので、ユメにフルーツを買ってきて留守番させ、元気な3人で近場に食べに行くことにする。
シーロム通りとコンベント通りには、一日中屋台がたくさん出ているので、サラディーン通りからシーロム通りに出て、ついでにシーロムコンプレックスに寄ってパン(34B≒\110)と豚まん(22B≒\70)を買い、コンベント通りを見て回るが時間帯が悪いのかフルーツ屋台が見当たらない。かろうじて一軒あったが、閉店間際で萎びた商品しか残っていなかったのでここはパス。
ホテル脇のスアンプルー通りを奥に市場があったので、一縷の望みをかけて行ってみると写真の屋台を見つける。パイナップルとスイカをそれぞれ2つずつ買う。かなり人気の屋台のようで飛ぶように売れていた。観光客は我々以外皆無で、ローカル相手だからもちろん剥きたてで新鮮かつ美味、値段もローカル価格で1袋10B(約\30)。
このスアンプルー市場には、早起きして時間があれば散歩がてら来るつもりでいたが、結局訪れたのはこの時だけであった。いつかまた来よう。
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●HAIで夕食
↓↓↓マウスオーバーでメニュー↓↓↓
苦労して手に入れたフルーツを持ってホテルに戻り、ユメを置いて夕食に出かける。向かったのはコンベント通りにあるイサーン料理の名店・HAI。
注文したのはサイクローク・イサーン(イサーン風ソーセージ)、ラープ・ムー、ソムタム・タイ、ガイヤーン、ヤム・ウンセン(春雨サラダ)、カオニャオ(もち米)、そしてビア・シンの大瓶と水。
ヤム・ウンセンはあしてんまま用にマイ・ペッ(辛くしないで)で注文。満席に近いお客のほとんどがローカルで、料理はすべて及第点であった。ここでカオニャオの食べ方をあしてんままとユウナに伝授する。ふたりともこれでイサーン料理の虜になった。(笑)
ユメが気になるので腹八分目でチェックビン。代金は630B(約\1,900)とこれまたローカル価格。
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●屋台
HAIを出て、あしてんままとユウナをホテルに置き、ひとりおつまみを探しに出かける。
シーロム通りに出ると、焼けども焼けども焼けた先から売れていく焼き鳥屋台を発見する。他にも焼き鳥屋台はシーロム通り、サラディーン通りにもあるが、ここだけ群を抜いて売れている。
待つのが嫌いなタイ人が焼けるのを待っているくらいだから、その味は間違いないだろう。タイ人と一緒に焼けるのを待って焼き鳥を4本買う。1本10B(約\30)という値段も人気の秘密であろう。
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●ホテルにて
21時前にホテルに戻ると、少し休んだのが良かったのか、はたまたフルーツが美味しかったからか、ユメの体調は回復していた。買ってきた焼き鳥をみんなで頬張る。
ちなみに焼き鳥は期待を裏切ることなくすごく美味しかった。甘辛いタレは日本のそれとは似て非なるものだが、ほとんどの日本人は美味しいと答えるに違いない。
早起きしたこともあって、この日は23時に就寝する。
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